「自己責任」という考え方を、ダメな自分、できない自分を責める材料にしていませんか?
「自己責任」とは、本来、そういう考え方ではありません。
「自己責任」とは、ものごとの原因が、自分にあるという考え方です。

誤った自己責任論
新しいことにチャレンジした。
うまくいかなかった。
このときに、
- 「自分ってダメだなぁ」
- 「何で、いつもうまくいかないんだ」
- 「まだまだだなぁ」
とうまくいかなかったことを、自分を責める材料にすることが、自己責任論では、ありません。
この考え方では、自分を責めてしまうので、苦しくなってしまうだけです。
これでは、新しいことにチャレンジしようとしても、
「うまくいかなかったらどうしよう」
と怖くなって動けなくなってしまいます。
動けたとしても、萎縮してしまうので、余計にうまくいかなくなってしまいます。
正しい自己責任論
本来の自己責任論とは、うまくいかなかったのは、自分のやり方に原因があったのではないか?
という考え方です。
新しいチャレンジをした。
うまくいかなかった。
このときに、
- 「このやり方は違っていたんだ」
- 「何が間違っていたのだろう?」
- 「それなら、どんなやり方が良いのかな?」
と、うまくいくやり方、原因作りを探ることです。
この考え方では、うまくいくやり方を試行錯誤する過程を、淡々とこなすことができます。
そうこうしているうちに、うまくいくやり方が見つかって、うまくいきます。
自分に原因があると考えることで、違う方法を探ることができるということです。
非自己責任論
ここで、自分を責めるためでもなく、自分に原因があるとするのでもなく、他者に原因があるとする考え方をすると、どうなるでしょうか。
他者とは、親、兄弟、配偶者、パートナー、上司、部下、友達、社会、政治、制度、環境、景気、気候、天気、・・・など、自分ではコントロールができないモノ、ということです。
自分ではコントロールできないモノが原因で、うまくいかないということになるので、自分で工夫して、うまくいかせようという気持ちにはなりません。
もちろん、新しいチャレンジは、うまくいかないまま放置されてしまいます。
「思考の癖」との関係
ここに「思考の癖」が絡んでくると、どうなるでしょうか?
幼少期に、
「自分は価値がない人間なんだ」
という思い込みの自分ルールを作った人は、うまくいかなかったことを「自分責め」の材料にするでしょう。
「こんなことができない私は、やっぱり価値がない人間なんだ」
と自分ルールを強化するための証拠にします。
例えば、幼少期に、お父さんの大事なものを壊してしまった。
そのときに、
「私のせいではない。○○が悪いんだ」
という、他者のせいにする、という自分ルールを作った人は、うまくいかなかったことを他者のせいにするでしょう。
「私が悪いのではない。○○のせいでうまくいかないんだ」
と自分ルールを強化するための証拠にします。
いずれの場合も、新しいチャレンジは達成されることなく放置されるか、繰り返しチャレンジしても、達成されることはないでしょう。
このように、設定した目標が、いつまで経っても達成できない、という問題となって表れていることがあるのです。
「思考の癖」を治して、本来の自己責任論に立って、
「うまくいく方法はどれかな?」
と試行錯誤できるようになることが、問題解決、目標達成の根本なのです。
いつまで、うまくいく方法を探し続ければ良いかって?
「うまくいくまで、探し続ければ、結局、うまくいくよ!」
が答えです。