何か、ものごとの判断をしたときに、
- 「それ、先に言ってよ。」
- 「それを知っていたら、そんな決定しなかったよ。」
- 「先に知らなかったら、とんでもないことになってたよ。」
なんて経験はありませんか?
今回は、正しい判断と情報の量についてのお話です。
持っている情報の量が多いほど、より正しい(と思われる)判断を下すことができるようになります。
もちろん、どんな情報でも良いワケではありませんが。

実験:この状況をどう感じますか?
以前、どこかで聞いたお話を紹介します。
光景を思い浮かべながら、読んでみてください。
休日の昼下がり、電車の中に、二人の子どもを連れた、お母さんがいました。
電車はそれほど混んではいなく、立っている人が少しいるくらいです。
子どもは、4歳くらいと6歳くらいの男の子です。
二人の子どもは、電車内でハシャギ、大きな声を出したり、走り回ったりしています。
乗客の中には、迷惑そうに見ている人もいました。
ところが、そのお母さんは、そんな子どもたちを注意しようともせずに、シートに座っています。
最初は、子どもたちを迷惑そうに見ていた乗客も、次第に注意をしないお母さんに、批判の目を向け始めました。
この時点での印象は?
さて、今この時点で、あなたはこの状況をどのように判断しますか?
どんなことを考え、感じていますか?
考えて、感じてみることができたら、続きを読んでください。
情報の追加(エピソードの続き)
この後、乗客の一人が、お母さんに声を掛けたのです。
「もしもし、あなたのお子さんが騒いで、他のお客さんの迷惑になっていますよ。」と。
すると、そのお母さんは、ふと我に返って、こう言ったのです。
「あ、気が付かなくて申し訳ありません。ついさっき、この子らの父親がなくなってしまって、この先どうしていったら良いのかと、途方に暮れていました。」
声を掛けた乗客や周りの乗客は、その答えを聞いて、その親子を気の毒に思い、子どもの相手をしてあげたり、そこまではしなくても迷惑そうに見るのを止めた。
というお話です。
情報量と判断
さて、電車の中の出来事について、あなたはどのように判断しましたか?
どんなことを考え、どのように感じたでしょうか?
お父さんが亡くなったことは、本当に気の毒だけれど、子どもが公共の場(電車の中)で騒いでいるのをたしなめる、しつけをするのは母親の役目だ。
というご指摘はごもっともです。
しかしここでは、情報量と判断の関係にだけ注目して考えていただきたいのです。
今、この時点で、あなたはどんな判断を下したでしょうか?
前半部分だけを読んで、下した判断と同じですか? 違っていますか?
感じていただいたように、情報が少なければ、それなりの判断になります。
情報が増えれば、判断の幅が広がります。
同じように、少ない判断材料では、判断を誤ることがあります。
判断材料が増えれば、それだけ正しい(と思われる)判断に近づくことができます。
もちろん、判断材料を集めることに時間を使い過ぎてしまってはいけませんが。
ということで、何かを判断するときには、より多くの情報を集めるようにすることは大切なことです。