今回のテーマは、「言葉の力」です。

目次
おことわり
私には、まだ子どもがいません。
(年齢的に言うと、今後、子どもを持つことはないでしょう。)
なので、こんなことを書くと、子育てで大変な思いをしている親御さんには、失礼に当たるのかもしれません。
でも、気になっていることなので、書いてみます。
「しつけ」のために、何を伝えるか?
街中やお店の中で見かける光景なのですが、子どもが何かをしていると
- 「ダメ!」
- 「やめなさい!」
- 「うるさい!」
という、親御さんからお子さんへの「しつけ」の言葉を聞くことがあります。
- 「汚いから、触っちゃダメ!」
- 「みっともないから、やめなさい!」
- 「静かにしなさい。うるさい!」
などと、大きな声で、親からこのように言われたら、確かに子どもはその行為をやめるでしょう。
子どもの生き残るための戦略
小さな子どもは、親の保護を受けていないと、生きていかれないワケですから、親に嫌われるようなことをしない、という戦略を持っています。
だから、基本的には、一時的とはいえ、親の言うことを聞くでしょう。
しかも、言っていることを理解できていなくても、声の調子で怒っていることは分かります。
つまりは、親の顔色・声色をうかがっているだけ、ということになります。
理由も伝えることの大切さ
なので、理由の説明もなしに、ただ
- 「ダメ」
- 「やめなさい」
- 「うるさい」
などとというのは、長い目で考えたときに、果たして良いことなのかなぁ、と思うのです。
- 何が汚いものなのか。
- 何がみっともないことなのか。
- どういう場面で、静かにしなければいけないのか。
- なぜ、汚いものは触っちゃいけないのか。
- なぜ、みっともないことをしてはいけないのか。
- 場面ごとに、どのくらいの声の大きさなら良いのか。
このようなことをしっかりと教えることが、本当の「しつけ」なのではないかと思うのです。
そうでないと、結局親の顔色・声色を伺うことだけを覚えてしまい、親に見つからなければ何をしても良いというような、自分では善し悪しの判断ができなくなってしまうのではないか、と思うのです。
起こりうる弊害
もう立派な大人になっているのに、新しいことを始めるのに、親の目が気になって、始めることを躊躇する人を見てきました。
すでに親は亡くなっているのにも関わらず、そういう人もいました。
自分の判断で新しいことを始めたにも関わらず、親が反対したからと、簡単に投げ出してしまう人も見てきました。
将来、自分の子どもがそのようになってしまうとしたら、どんな気持ちでしょう?
それはそれで良いんじゃないか、というのなら、私から言うことは、これ以上何もありません。
私の話で恐縮ですが...
私が、10年お勤めした会社を辞めて、独立・起業すると決めたとき、私の親は反対しませんでした。
親が反対しても、自分の意志を曲げるつもりもなかったですが。
自営業で苦労してきた父親にしてみたら、自分の子どもに、同じ苦労をさせたくないということで、お勤めを続けた方が安心だ、という思いはあったようです。
かくいう父も、家業である山奥のお寺を継ぐのがイヤで、東京に出てきて商売を始めた人だったので、最後には納得してくれました。
母は、祖父母の代(私から見ると曽祖父母の代)からの商売人なので、腹が据わってました。
母が父を説得してくれた、という一面もあったようです。
「あなたと同じように、自分のやりたいことを見付けて独立するんだから。」
というようなことを話してくれたようです。
そういう意味では、私は両親にはいくら感謝してもしきれません。
と、話がズレてきましたが、とはいえ、親は子どもが心配なもの。
危ない目に遭わないように、守ってやりたい、という気持ちも分かります。
その反面、親が子どものドリームキラーに、なってしまうのも問題です。
微妙なさじ加減なので、簡単ではないのかもしれませんけれど。
お詫びとともに
子育て真っ最中で、日々大変な思いをされている親御さんには、不愉快な内容だったかもしれません。
その点は、お詫びいたします。ごめんなさい。
「理想と現実は違うよ。」
とおっしゃりたいかもしれません。
私には、分かりませんが、その通りなのかもしれません。
でも、理想を掲げるからこそ、そこに近づけるという側面がありますので、理想を語ることはし続けたいと思います。
今日の問いかけ
どんな大人になって欲しくて、どんな言葉を子どもに投げかけていきますか?